孫文は中国革命の父と慕われている人物です。
我が家には、この孫文の肖像がある色々な紙幣が何枚もあります。
中国で働いていた経験もある母が持っていたものです。
色々な国でその国の王族、建国者、英雄などがお札に肖像が使われていますが、
これら孫文の紙幣が一体どんなものかを分かる限り調べてみました。
孫文は、近代中国の父と呼ばれる革命家・政治家です。中国の封建王朝であった清朝を倒し、中華民国(中国最初の共和国)を樹立した中心人物です。
我が家には、その孫文の肖像が入った紙幣が我が家に沢山あります。
多くは母が集めていた紙幣です。
大正13年生まれの母は、若い頃北京で病院に勤めていました。
母は1944年に20歳です。
1945年は終戦の年なので、その頃には日本に戻ってきたはずです。
恐らくもう少し前に北京で働いていたようです。
1945年の中国は、日中戦争の終結と、その後の国共内戦の再開という激動の時期であり、単一の支配者・政権が全土を完全に支配している状況ではありませんでした。
国民党の蒋介石率いる中華民国が公式の中国でした。
一方毛沢東率いる共産党も勢力を伸ばしている状況でした。
それより少し前の1912年に清朝は孫文が主導した辛亥革命により崩壊しています。
孫文は清朝を革命家として、国民党を率いて中華民国を建国しており、発行された紙幣の多くには孫文の肖像が使われました。
孫文の肖像が載っている紙幣は大きく分けて2種類あります。
一つはかつて中国本土などで発行された旧紙幣、
もう一つは、台湾の旧紙幣や現行紙幣の100元札です。
我が家にあるの大部分は後者の中国本土で中華民国の元で発行された紙幣です。
孫文の肖像がある紙幣は基本的には中華民国の紙幣です。
その主なものを中心に表を作成してみました。
発行時期 | 額面 | 発行機関 | 特徴 |
1930年代~1940年代 | 1元紙幣 | 中央銀行(中華民国中央銀行) | 最も代表的な孫文紙幣。正面に孫文の肖像。 |
1930年代~1940年代 | 5元・10元・100元など | 中央銀行や中国銀行 | いずれもデザイン違いで孫文像が中央に描かれていた。 |
国共内戦末期 | 金圓券(1948年) | 中央銀行 | 100万元など超高額紙幣にも孫文の肖像が使われた。 |
1940〜1950年代 | 1元、5元、10元、50元などの旧紙幣 | 台湾銀行 | いずれも孫文の肖像入りで、国共内戦期に使われていた。現在は回収済み。 |
現行(発行:1949年~現在) | 100元紙幣(赤色) | 中央銀行(台湾) | 正面に孫文の肖像。裏面に中山楼(台湾・陽明山)。今も日常的に使用されている。 |
大陸に居た頃の中華民国は主に4つの政府系の銀行が紙幣を発行して共同で管理していました。
4つの銀行は中央銀行、中国銀行、交通銀行、中国農民銀行です。
その内、特に中央銀行と中国銀行に孫文の肖像が載った紙幣が多いようです。
肖像面です。10元札は2種類あります。
中央の10元、下の5元は中華民国二十六印(発行)とあります。
上の10元札は、中華民国二十九年です。
裏面です。
10元札3種、5元札2種です。
上の10元札は中華民国十二年印です。
中央と下の10元札はどちらも、中華民国二十五年印です。
中央と下の5元札はとちらも、中華民国二十五年印です。
中央と下の10元、5元の肖像面はあまりデザインは変わっていませんが、裏面は大幅にデザインが変わっています。
珍しい縦デザインのお札です。
肖像面です。
裏面です。
中国大陸で抗日戦争(1937~45)が行われているとき、南京には日本の支援政権南京国民政府が存在していました。
通過精度を整備するために、 「中央儲備銀行」 を設立しました。
この銀行が発行した紙幣は、占領地域でのみ通用していました。
この紙幣にも孫文の肖像が使われています。
肖像面です。
裏面です。
広東省銀行は、辛亥革命(1911)後の混乱期に、広東省政府が独自の金融安定化を目指して設立されました。
中央政府の影響が弱かったため、広東省内で使える独自紙幣「広東省銀行券」を発行しています。
ここでも孫文の肖像が使われています。
これは以前、台湾に観光で行ったときに残った100元札です。
孫文は、近代中国の父と呼ばれる革命家・政治家で中国にとって大事な人物であることが再認識できました。
その結果、多くの紙幣にその肖像が使われました。
その後、中華人民共和国には更なる英雄である毛沢東が登場したため、現在の中国紙幣は毛沢東の肖像が使われています。
一方台湾では現在でも一部(100元紙幣)ではありますが孫文の肖像が使われている紙幣が使われていいます。