御朱印集め 神社や神様を身近にしてくれた世田谷八幡 50年前と変わらぬ姿に感激!!

50数年前まで世田谷の豪徳寺に住んでいました。当時小学生だった私に地元に根差す神社や神様のことを教えてくれたのが、この世田谷八幡宮です。

このブログで御朱印集めとして神社の記事を書いているのは子供頃に親しんだこの八幡様のおかげです。

久しぶりに訪れた世田谷八幡宮は当時からほとんど変わらない姿で迎えてくれました。

私と世田谷八幡宮

当時、我が家はこの世田谷八幡宮のことを八幡様と呼んでいました。当時住んでいた家から歩いて15分程度の距離にありました。

八幡様の秋の大祭のときには、多くのの出店がでたりして我が家の一大イベントでもありました。

2日間に渡りお祭りを行うのですが、午前、午後それぞれ1回ずつ八幡様に行きお祭りを楽しんでいました。

射的、金魚すくい、輪投げ・・そしてヘビ女の小屋なども来ていました。食べ物も綿飴、焼きそば、チョコバナナなどなど、そこにはまさにお祭りがありました。

そしてお神輿や山車がでて商店街を練り歩きます。当時子どもだった私は当然お神輿は担げませんでしたが、子どもたちは山車を引っ張て街を歩きます。

もう一つは境内にある土俵で奉納相撲があることです。とても体の大きい人たちが相撲を行います。

当時の私にとっては完璧なお祭りでした!

世田谷線を挟んで反対側に豪徳寺があり、普段遊ぶのは豪徳寺、お祭りのときは八幡様と神仏を使い分けていました。

頂いた御朱印

緊急事態宣言中は書置きの御朱印が多かったのですが、手書きの御朱印を頂けました。

世田谷八幡宮のHPはこちら

相撲の印がある世田谷八幡ならではの御朱印です。

世田谷八幡宮の御鎮座は、今から九百数十年前、源義家が、清原家衡を金沢柵にて攻め平定した戦地からの帰途、この世田谷の里で、戦勝は八幡大神様の御加護に依るものと深く感謝し、里人に御祭神を郷土の鎮守神として厚く信仰するよう教えた、と云われています。世田谷八幡宮HP抜粋

御祭神 応神天皇おうじんてんのう 仲哀天皇ちゅうあいてんのう 神功皇后じんぐうこうごう

御鎮座地 東京都世田谷区宮坂1−26−3
 
東京都世田谷区宮坂1-26-3
 
 

境内と周辺のようす

世田谷八幡宮の最寄りの駅は世田谷線の宮の坂駅ですが、商店街は世田谷線の山下駅、小田急線の豪徳寺駅から宮の坂駅の間にあります。私がこの街に住んでいた頃は、この商店街もお祭り時は賑わっていました。

商店街のメイン通りは、久しぶりに来たせいかとても狭く感じました。

世田谷線沿いに商店街はあります。八幡様のそばから世田谷線が来るのを写しています。線路の左側に八幡様、右側に豪徳寺があります。

境内の配置です。世田谷八幡宮のHPにあります。

道を挟んだ所に社務所があります。社務所の前が駐車場になっています。

社務所側からみた鳥居です。

鳥居をくぐってすぐ右側に厳島神社があります。

厳島神社内にある池です。小さいながら鴨や鯉がくつろいでいます。

鳥居をくぐって右側、参道の階段を上る前に土俵への道があります。

参道の階段を上ったところから見た土俵です。秋季大祭(9月敬老の日前の土、日の二日間)奉納相撲がおこなわれます。

手水舎です。

仮殿です。

本殿です。この日は平日ですが4~5組の参拝者がいました。

仮殿のそばには力石があります。相当重そうな石です、持ち上げたのでしょうか?

高良神社です。

まとめ

世田谷八幡宮を参拝で忘れていた子供の頃の思い出が浮かび上ってきまいた。境内の印象は50年前からほとんど変わっていません。

当時の印象がなかったのは、道路を隔てた社務所だけです。商店街も道路の感じはほとんど変わっていませんが、店自体は大きな変化があったようです。

変わらずに待ってくれている神社があるのはとてもうれしいものです。

 
 

 

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