このSEIKO 懐中時計SAPB01Hと会津塗小筥は、従軍者で恩給や年金を受け取れない恩給欠格者の記念品です。
私の親父が太平用戦争に従軍しており、その記念品としてもらったものです。
なかなか使用しずらい感じもありますが、我が家の歴史を背負っているお宝です。
私の親父は、熊本の天草出身で学校は大陸の朝鮮学校を出ていまいした。
実は、親父から戦争の話をあまり聞けずに亡くなっています。本人もあまり話したがっていないようでしたし、積極的に聞く機会も有りませんでした。
断片的に聞いた内容は、太平洋戦争勃発後は、南方へ行く予定であったが、経理ができたので違う部隊へ異動になり、
南方に行った仲間は全滅したそうです。終戦後シベリアに抑留され、そこでも経理の仕事をしていたと聞いています。
その後、日本に帰ってきたのですが、終戦時は23才のはずです。
本当に少しのことしか覚えていません。一体何年戦争に行っていて、シベリアに何年抑留されていたのかも分かりません。情けない感じです。
今回のお宝は、恩給欠格者の記念品です。
平和祈念事業特別基金で恩給欠格者、戦後強制抑留者及び引揚者に対して、慰藉の念を表すための特別記念事業として贈呈された特別慰労品です。
SEIKO 懐中時計SAPB01Hと会津塗小筥です。
お袋が書いたメモに、「恩給欠格者請求書 書類 平成10年9月7日出 銀杯認定後半年 時計はその後認められた人に書類が送ってくる。」とありました。
親父は引揚者でしたので、それに対し銀杯の記念品も貰っていたようです。
SEIKO 懐中時計SAPB01Hの表面です。
裏面には、「贈 内閣総理大臣」の文字があります。
この型番の懐中時計はこの記念品のための特注のようです。保証書をみると西部百貨店の時計サロン商納とあります。
恩給欠格者とは、恩給法により規定される在職期間が定められた年限に達しない等の理由により、恩給や年金を受けられない軍人、教員、公務員を指します。
一般的には、太平洋戦争においての軍人・軍属としての在職経験が短いため、恩給の受給対象にならない人を指します。
恩給が受けられる最短在職期間は、将校・士官(准尉以上)は、13年以上。下士官・兵は、12年以上 のようです。戦地(危ないところ)に居た人は短縮され、5年で恩給が付くようですが、5年未満は「欠格者」になります。
このような記念品は本人や関係者にとっては本当にお宝です。
残念ながら親父の話をあまり聞くこともなく、ものだけが私の手にあります。
世代が変わると価値や思いが変化していくのは仕方ないことです。
オークションサイトで、たまに見掛けるこちらの時計がどんな時に、どなたが内閣総理大臣から賜ったのか、ずっと疑問でした。
今回こちらにお邪魔して、この時計の経緯を知る事が出来ました。
戦争という多くの人が命を失って、また残された方々も、長く辛い時間を過ごして来た史実を、この時計が物語ってくれた気がします。
お父様、どうか安らかにとお祈り致します。
ありがとうございました。
コメント有難うございます。大事なことの記憶が薄れないようにしていきたいと考えています。今日も又思い出すことができました。有難うございます。
わが家にも同じものがあります。
私も父と真面目に戦争の話をしたことはなく、話をしたいと思う年齢になった今になって、話せなかったことを残念に思います。
これを頂いたのはいつだったかわかりませんが、小泉さんの時代だったような気がします。
「志願した方が早く偉くなれると思って学徒で志願したら、すぐに戦争終わっちゃったんだよ。東南アジアに行って、栄養失調になって帰ってきたんだ。」と言っていたのは聞いたことがありましたので、今回ブログ主様の文章を読み、なるほど「五年未満の欠格者」だったから授与されたのか、と納得しました。
それにしても、何度も引っ越しているのに(6回?)政府はちゃんと居所を調べたんですね。
今気づいたのですが、父は昭和2年生まれですから、敗戦の時はまだ18才!17歳くらいで志願したのでしょうか…子供じゃないですか、驚きです。
色々気付かせていただいて、ありがとうございました。
コメントありがとう御座います。
お父様は、若いときにしっかりした考えを持っていたのですね。
現在と価値観が違うとはいえ、なかなか学生で志願するのは勇気が必要だったのではないでしょうか。
ウクライナとロシアの戦争も継続されており、長い間平和の時代を生きてきた私にとっては
切に。戦争が終わり、平和にになることを願うばかりです。
そんなことをやっている場合ではなく、地球規模で色々な問題が起こっていることに
目を向けて欲しいと考えています。
お互いにこの時計を見たときは、父親のことを思い出すことにしたいですね。
では